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里山法務教室

このページでは、里山や環境問題に関する法律の話題について不定期にご紹介しています。

CSR(企業の社会的責任)の落とし穴 【後編】(この記事は2005年に書かれました)

前回説明したとおり、CSRの関係する分野は非常に広い。これに対して、たとえば、環境ISOは、認証機関は多いが、その方向性は、ISO(国際標準化機構)の定める基準であることから、もちろん企業ごとに違いはあるとはいえ、大筋の方向性は明らかだといえる。
しかし、CSRはそうはいかない。CSRが関係する分野は広い上に、各分野には研究機関、NGOなどの数多くの専門団体が存在し、その取り組みはもちろん真剣だ。そうすると、たとえば、人権に関するCSR対策を進めるにしても、人権に対する安易な理解の上に立ってCSRに取り組んだところで、かえって企業の中途半端な対応を、当該機関に指摘されることにつながり、場合によっては厳しく批判され、企業の社会的信用を失うことにもなりかねない。

要するに、企業がCSRに取り組むに際しては、該当項目に対する本質的な理解が必要となるのだが、CSRの対象となる分野は、これまで日本の企業が苦手としてきたものが多いのである。法令の遵守については今だに不祥事がなくならないし、人権については、たとえばヨーロッパには欧州人権裁判所といって地域ぐるみで人権問題に取り組む文化的伝統があるが、日本にはそうした伝統はなく企業文化においてもあまり意識されていない。

また、地域社会、消費者、労働者といった分野も、これまでは、事業者優位で問題の解決がなされてきたケースが多い分野である。にもかかわらず、企業全体が、そうした分野に社会的な責任を負うものとして、昨今のCSRブームに合わせてすぐに脱皮できるのであろうか。私には、はなはだ疑問だ。

そういう意味で、企業のCSRの取り組みは、経営者の意識のみならず、従業員も含めた企業全体の根本的な意識改革がなされなければ、結局うまくいかないだろう。最近よく目にするCSRセミナーの内容をなぞるがごとくの安易なマニュアル対策ににとびついて解決できるほど、簡単な問題ではないと思います。 (無断転載・盗用厳禁)

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CSR(企業の社会的責任)の落とし穴 【前編】(この記事は2005年に書かれました)

企業の社会的責任、いわゆる、CSR(Corporate Social Responsibility)は、近年になって特に注目されている概念だ。つい最近では、鳥インフルエンザに対する事業者の対応が問題となったことがよい例である。すなわち、企業は利潤追求のみならず、企業倫理や法令の遵守などにも気を配る必要があり、これを怠ると企業自体の存続が危ぶまれるという考え方だ。

具体的には、企業倫理や法令の遵守に加え、環境問題、人権、地域社会、消費者、労働者といった事柄に関する問題への企業の取り組み姿勢が問われることになる。すでに、欧米では、CSRが投資先企業を決める指標の1つにもなっており、こうした流れを受けて、国内の企業間でもCSRへの取り組みを積極的に行おうとする動きが出てきているわけだ。

ところで、CSRはこのように裾野が広い概念であるため、一定の定義付けをすることが非常に難しい。また、社会的責任といっても、その社会の性格や抱えている問題は多種多様であるため、国や地域によって企業に求められる責任も異なるであろうし、その意味で極めて捉えどころない概念でもある。

さらに、私が懸念するのが、この概念が環境ISOの場合と同じく、今後、企業間でブームとして取り扱われてしまうことだ。ところが、CSRは環境ISOとは大きく異なる点があることから、その取り扱いを間違えると、企業に決定的なダメージを与える恐れがあると私は考えている。その点については、次回書いてみようと思います。(無断転載・盗用厳禁)

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江戸の都市環境(この記事は2005年に書かれました)

今日は趣向を変えて、江戸の都市環境についてを紹介しよう。ちょっと前にいわゆる「江戸学」なるものがブームになった記憶があるが、環境問題を考えるにあたっても江戸時代から学ぶことはいろいろありそうである。

江戸は当時世界最大の都市だったことはよく知られている。人口は100万人を越え人口密度は現在の東京の5倍程度だったという。今から考えても超過密都市だったわけだ。これだけの都市になると当然都市環境にも支障が出てくると思うのだが、意外とそうではなかったらしい。

というのも、武士は支配階級であったので、その住環境が良好であったことは想像できるが、庶民の暮らしをみても、江戸市中には共同トイレやごみ捨て場も完備され、しかもそれらが整然と利用されていたそうだ。市中を流れる隅田川も綺麗で、当時のロンドンのテムズ川とは大違いだったそうな。

これには2つの理由が指摘されている。一つ目は、江戸市内ではリサイクルやリユースを自然に行う質実な習慣が存在していたこと、二つ目は、廃棄物を再度利用できるようにすることを生業にする者が多かったこと、である。要するに都市全体がソフト面、ハード面とも循環型の社会であったわけだ。

この点、現在の日本と比較すると、ハード面ではリサイクル関係の法律等が整備されてきたとはいえ、やはりまだまだ使い捨ての意識は強く残っている。その一方で、不思議と環境に対する関心は高いわけだから、今後はこうした関心を日常生活の行動に具体的につなげていくことが大切だと思います。 (無断転載・盗用厳禁)

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ナキウサギ達の賛歌 【後編】(この記事は2005年に書かれました)

日本で自然の権利訴訟を遂行するのは難しいと書いた続きだ。というのも、ご存知の通り、日本の現在の法体系では、権利主体となれるのは自然人と法人の二つであり、自然物はあくまで権利の客体である。また、実務的にみると、自然保護に関する訴訟は行政訴訟になることが多いが、行政訴訟の原告適格の要件は非常に厳しいので、訴訟を提起しても却下される可能性が大きいのである。
自然の権利訴訟が盛んなアメリカにおいても、自然物自体に権利の享有を認める考え方は存在しない。だいたい、倫理的にならともかく自然に具体的な権利を認めるといっても、何に対してどこまでの権利を認めるのかを決めることは、あいまい過ぎてできないだろう。したがって、日本では今後も、法的に自然の権利を構成することは困難であると私は思う。

しかしながら、自然の権利訴訟が無駄であると言っているのではない。これまでの訴訟は、たとえ裁判に勝てなくても、開発行為によって失われる貴重な自然に世間の注目を集めさせる機能を果たしてきたし、実際に開発行為を阻止する実績もあげている。要するに、この問題の本質は、日本における自然保護行政が市民参加を十分に保障していないことに起因する。また、訴訟上も行政訴訟の原告適格の要件が厳しいため、司法による自然へのアプローチも不十分なわけである。

ところが、ここに来て注目すべき動きが生じている。報道によると、司法制度改革推進本部行政訴訟検討会では、行政訴訟の原告適格の拡大についても検討がなされているみたいだ。これは今までの行政訴訟に風穴をあけるかもしれない。これにとどまらず、行政の分野でも、市民が自然保護行政へアプローチしやすいような制度を整備することが望まれるところです。(無断転載・盗用厳禁)

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ナキウサギ達の賛歌 【中篇】(この記事は2004年に書かれました)

前回に続き「自然の権利」の話である。あまり聞きなれないこの権利概念には、大きく倫理学の観点から説明されるものと、法律学の立場から説明されるものがある。そのうち、このブログでは、法的権利としての自然の権利について紹介しよう。具体的には、自然物に訴訟の当事者適格があるかないかという点で問題になる。

自然の権利をめぐる訴訟は、アメリカで盛んに提起されてきた。1972年のいわゆる「シエラ・クラブ対モートン事件」において、ダグラス判事がミネラルキング渓谷に当事者適格を認め、自然保護団体のシエラ・クラブを訴訟代弁者としたことは有名である。その後も、アメリカの下級裁判所では、自然の権利に好意的な判決が続き、自然物に訴訟の当事者適格を認める方向で事態が進んでいるようにも見える。

しかし、注意しなければならないのは、これらの判決は無条件に自然物に権利主体性を認めているのではなく、絶滅危惧種に関しては市民の誰もが訴訟を提起できると言う「市民訴訟」が法律で認められているという法的背景がある。したがって、裁判所の判断も自然物の権利主体性を正面から認めるというよりも、市民の権利が認められた派生的結果として、自然の権利への配慮が行われたと考えるのが妥当ではないかと思う。逆にいうと、アメリカのケースを他国に当てはめるためには、その国でそうした法的条件が整備されているか否かに注目しなければならないということだ。

してみると、日本でも前回紹介したように、これまで幾つかの「自然の権利」訴訟が提起されてきたが、いわゆる住民訴訟は限定的にしか提起できないこと、また、はたして自然物に権利を認める必要があるのかという根本的な疑問もあり、日本における自然の権利訴訟の遂行はかなり困難であると言わざるをえないだろう。 (無断転載・盗用厳禁)

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ナキウサギ達の賛歌 【前編】(この記事は2004年に書かれました)

以前、NHKで日高山脈のナキウサギの番組の再放送をしていた。ナキウサギといってもご存知でない方も多いかも知れないが、とてもかわいい動物だ。例えて言うと、コアラをウサギにしたような感じだろうか。ネットで調べると、たくさんナキウサギのHPがあるので一度ご覧頂きたい。

ナキウサギは日本国内では北海道の中部に生息しており、氷河期の生き残りの動物のため生きた化石と言われている。体長15〜18cmで、普通のウサギと異なり丸くて短い耳を持つ。その名の通り「キチッ、キチッ」と短く鳴く。主に山岳地帯のガレ場といわれる岩が積み重なったような所に棲んでおり、結構素早い動きをするようだ。

ところで、このナキウサギをめぐっては、大雪山国立公園内に計画された士幌高原道路の建設をめぐり、その建設がナキウサギの生態系を破壊するとして、 1996年に住民訴訟が提起された。いわゆる「ナキウサギ裁判」として知られているこの裁判は、開発行政の問題点を明らかにしたのみならず、「自然の権利」訴訟の例としてもよく紹介されている。裁判自体は士幌高原道路の計画が中止されたため、1999年に訴えが取り下げられ終結した。

こうした「自然の権利」訴訟としては、このほか「アマミノクロウサギ訴訟」や「オオヒシクイ訴訟」などがあり、はたして自然物に権利があるのか否かが日本でも本格的に争われた事件である。そこで、次回は、あまり聞きなれない「自然の権利」とは何かについて紹介してみよう。 (無断転載・盗用厳禁)

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